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2005/04/23

はじめての眼鏡(下)

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先日書いたとおり生まれてはじめて眼鏡をつくった。

眼鏡をつくった店は神保町の三鈴堂眼鏡店。明治12年創業の老舗だ。
ずっと前から「最初に眼鏡をつくるならこの店」と決めていた。数十年越しの念願が叶ったことになる。
この店のショーウィンドウにはジョン・レノンモデルの丸眼鏡がものすごく沢山ならんでいる。
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しかも場所は神保町。ビートルズを子守歌に育ち、ジョン・レノンを信奉している僕としては「この中のどれかしかない」、しかも「神保町・秋葉原育ち」を自称する僕としては「ここしかない」。(それにエリック・クラプトンも丸眼鏡だし・・・)

「眼鏡をつくりたいんですけど」というと、ご主人が膨大なジョン・レノンモデルの中からすぐに6種類ほど出してくれて、一緒に選んでくれたこと。出していただいたどのフレームも掛け心地が良く、デザインも僕好みだった。

この店で本当に良かった、と思った。この店だからこそ、僕に合うフレームをこんなに色々出してもらえたと思う。逆に、このご主人でなければその中から僕に合いそうなものをすぐには選んでくれなかっただろう。合わないものも含めてあれこれ見せてもらうことは誰にでも出来るかもしれないけど。

ご主人は「私はお世辞が下手なんで、似合うモノしかお勧めできません」とおっしゃいながら、一緒にフレーム選びをしてくださった。

どれも魅力的だったので、本当に迷ってしまったが、ご主人のアドバイスのおかげでで納得のいくものを選ぶことができた。

選んだのはチタン製で、鼻あての無いモデル。色はグレー。軽いし、フィット感があるし、何より自分の視野をカバーしてくれるので眼鏡を掛けていることが気にならない。

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今日、家族と一緒に店に行き、眼鏡を受け取った。いつもサングラスを買う度に「似合わない」とか「なんか変」としか言ってくれない家族も「すごく似合う」と言ってくれた。店のご主人も「なにか合ったら何時でも持ってきてください。眼鏡は買われた後が肝心ですから」と言いながら、とても嬉しそうに見送ってくださった。

ちなみに、このご主人、連れて行った娘の性格を見事に言い当てた。さすが人生の大先輩・・・・。

久々に買い物客としての感動を味わうことができた。正直なところ、値段は結構高かったけど(眼科での処方箋代分は値引きしてくれた)、とても満足している。こういうのがCSだよね。

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2005/04/22

スタディラボ

先日、内田洋行さんにお伺いしたときに、沢山の教育用オモチャを見せていただいた。
モノ好きの僕としては、もうざわざわしてしまった。(^-^;)
娘用?いえいえ、自分用としても・・・。

で、「これ、どこで売ってるんですか?」とお聞きしたら、「スタディラボ」(http://www.studylab.jp)で売ってますとのこと。

スタディラボは同社の知的生産性研究所が運用しているウェブサイト。
いただいたフライヤーによると「スタディラボWebサイトでは、厳選されたアイテムを詳しく紹介。単なるショッピングサイトではなく、教材を通じた体験のあり方を発信しています。」とのこと。

まあ、見てください。
モノ好きな人・教育好きな人両方ともそそられること請け合いです。

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2005/04/21

eラーニングで代替可能な研修とは?

今日、あるお客様との打ち合わせで「eラーニングで代替できる研修はどのようなもの?」というご質問をいただいた。

この問いは割とよく聞かれるので、僕なりの答えを用意している。
それは「集合研修じゃなくちゃならない理由が無いものはeラーニングに代替可能だし、代替させた方が良い」ということだ。

例えば、ずっと座学で受講者は講師の話を聞きっぱなしだったり、ずっと講師の話をバックグラウンドトークに教材を読み続けるような知識伝授型のものであれば、そしてそれが特に退屈なものであれば、eラーニングにしたほうが「まし」だろう。その方が自分の好きな場所やペースで学習出来る分だけ良いはずだ。

「まし」というのは、そもそも面白くないものは、そのままeラーニングに移植してもやっぱりつまらないけど、せめて学習環境だけでも改善したほうがまだ苦痛が少ないだろう、という意味。

せっかくeラーニングにするのだから、しっかりインストラクショナル・デザインをし、教育的な配慮をし、演出し、面白くなるようなしつらえをすることを考えた方が良い。下手な講師よりはるかに良いモノができるだろう。

さて、「集合研修じゃなくちゃいけない理由」って何があるだろう?

僕がいつも挙げるのは
・グループダイナミクスがはたらく(ディスカッション、ワークショップなど)
・現物を扱う必要がある(実習など)
・生身の人を相手にする必要がある(ロールプレイングなど)
・「本物の迫力」が重要(有名人の話を聞く)
・「ライブ感」が重要(受講者とのインタラクションを活用できる講師の講義)
といった理由。

それと、今日、打ち合わせをして、もう一つあることに気付いた。
それは「職場など日頃の生活・活動の場から離れることが有効・必要」という点だ。

集合研修で職場から離れることが良い気分転換になり自分を見つめ直す良い機会になる、といったこともあるだろうし、職場の慌ただしさから離れることで学習に集中できる、といったこともあるだろう。

以前、僕と一緒に研修の仕事をしていた同僚(出向者)が東京海上日動本体に戻り、久々に受講者として受講した際に「研修で職場から離れることがこんなに気分転換になると思わなかったし、こういった気分転換がこんなに大事だとも思わなかった。」という感想を漏らしていたのを思い出した。その同僚は僕と一緒に仕事をしている間には「研修を気分転換だと考えて貰っちゃ困りますよね」と言っていたのだが・・・。

さて、他に「集合研修じゃなくちゃいけない理由」には何があるだろう?
「こんなのがあるよ」という方、是非コメントで教えてください。

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2005/04/20

だから共著はやめられない(続・企業での教育を担うのは誰?)

今年共著する新しい本は、メンバーが一節(4000字位)ずつ書いた原稿を持ち寄って、それをメンバーみんなで読んで、質問・議論・アイディア出しをする勉強会を2週間に1回くらいのペースでしながら、1年くらいかけてゆっくり書き進むことにしている。今日はその1回目。

メンバーは中原さん@東大、荒木さん@日本総研、橋本さん@青学(大学院)それに僕。

今回、中原さんは学習と記憶のメカニズムについて(行動主義・認知主義・構成主義あたり)、橋本さんはインストラクショナル・デザインのそもそも(必要性とか何故注目されるかとか)、そして僕は先日日記にも書いたとおり「企業での教育を担うのは誰?」についての節を書いた。(4人中ひとりは「お休み」する、というルールで今回荒木さんはお休み)

僕以外のお二人の書いてきた原稿はかなり面白いもので、企業の教育担当者が案外知らないこと(本来は知っておくべきことなのに)が分かりやすく書かれていた。さすがお二人ともこれを専門に研究されてきていることはある。

僕のは・・・結構苦労した割にあまり面白くならなかった。
ずっと考えていた枠組みは「経営層」「教育スタッフ」「現場のリーダー」「学習者本人」という整理にまずは落ち着いたけど、どうも面白くならない。枠組みもなんだかありきたりに思えたし。
とはいえミーティングに間に合わせなくちゃならないので、面白くないなりに書いてみんなに読んでもらった。

みんなは僕の原稿を読みながら、原稿にペンを走らせる。(こういうときって本当に緊張するよね)
で、結果としては内容として「興味深い」とは言ってもらった。(きっと年長者の僕に遠慮があったんだろうけど)
その後で、この原稿を面白くするいろいろなアイディアを出してもらった。

原稿に対して「これって誰の説?出典は?」といったツッコミを入れて貰った後、「経営者の教育責任って具体的にはどう果たされるの?」「教育は企業の諸問題を何でも解決できる万能薬か?」といった根本的な質問・議論をしたり、原稿として面白くするための構成案なども色々出してもらったりした。

前の本を書いたときに、色々な人から「共著だと自分の思ったとおり書けないんじゃないですか?」と良く聞かれた。確かに100%自分の思い通りに書けないこともあるし、自分の文章スタイルを曲げて他の人に合わせなくてはいけないことも多い。

でも、それ以上に共著することはとても良い学習になる。

他のメンバーの原稿を読ませてもらい、質問や議論をさせてもらうことで色々なことや原稿には書かれない周辺知識を教えて貰えるもちろんだが、それ以上に自分の執筆分での勉強は大きい。

危ない書き方をしているところを指摘してもらったり、質問してもらうことで色々なネタを頭から引き出してもらったり、今回のミーティングのように面白いか・面白くないかを冷静に評価してもらったり、面白くするためのアイディアを出して貰ったりすることもできる。こうやって文章の書き方を勉強できる。

もっと大きいのが、自分が暗黙のうちに持っているメッセージや現実への「怒り」を「こういうことでしょ?」って他の人に言い表してもらうことで、自分が本当に伝えたかったことが改めて確認でき、表出できるようになることも多い。昨日のミーティングでも3人ともそういう局面が結構あった。

単に本を出すだけなら一人で書いた方が早いかもしれないけど、本を書くことを通じて色々なことを勉強するには共著の方が良いと思う。自分が持っているリソースを目一杯出しながら、他の人のリソースを吸い込むって感じだ。

だから共著はやめられない。

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2005/04/19

はじめての眼鏡(上)

先週の金曜日あたりから、どうも目の調子が悪かった。

それ以前から、本を長時間読むとしんどかったんだけど、全然見えない訳でもなかったし、そもそも視力には自信があった(両目とも1.2)。

「疲れ目だよな。先週は一週間サーバと格闘してたし・・・」と思い、土曜日は目を休めるべく、移動中・待ち時間用の本も持たずにサッカーの応援に行き、遠くを見るようにした。国立はピッチと客席が離れているんだけど、あちら(ホーム側)までも良く見えた。特にアントラーズの得点は。

日曜日。全然良くなってない。むしろ悪化していて、気になるほど本の字がぼやけている。
だめじゃん、本読めないよ・・・・水曜日までに調べて書かなくちゃならない原稿があるのに・・。

月曜日、事態はさらに悪化。会社で書類に目を通すのもしんどい状態になり、たまらずに眼科で診て貰った。

先生曰く「目そのものは健康だし強くて良い目なんだけど、乱視が入っている。疲れていないと気にならないと思うけど、疲れてくると近くのものは見えにくいはずだ。'眼鏡をかけることを薦めるよ」

眼鏡を処方してもらうための検査で、レンズを通して近くを見てみると確かに視界はクリアになっている。
おぉ、眼鏡ってこんなにすごいのか!とちょっと感動。なにせ43年の人生、サングラスと伊達眼鏡以外の眼鏡には縁がなかったので。

ということで、その足で生まれて初めての眼鏡を作りに行った。

以前から「眼鏡を作るときはここで」と決めていた店があって、そこで頼んだんだけど(この話はまた後日)、作るのに時間がかかり(お金もかかった・・・)早くて金曜日に出来上がり、ということだったので、近所のディスカウントな店でレンズ・フレームセット7000円也で翌日(つまり今日)出来上がるという「安い・早い」のものもついでに作った。このまま本や書類が読めないと商売あがったりだし。

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で、とりあえず作った眼鏡です。
50cm以内のものを見るための眼鏡なので日頃はしませんが・・・。
ということで、眼鏡を掛けていても「ついに北村さんも老眼鏡ですか」と聞かないように。あくまでも乱視です(^-^;)。

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2005/04/18

企業での教育を担うのは誰?

「企業での教育を担うのは誰?」
今度執筆(共著)する本で、僕が担当する最初の部分での問いがこれだ。
あらためて考えてみると、結構難しい。

すぐに思いつくのは人事部門や総務部門の教育・研修担当だろう。
会社によってはその担当はいわゆる経営企画部門などに属しているかもしれない。

だけど、今や教育責任は人事・総務部門や経営企画部門だけではない。マーケティング部門、商品開発部門・・・・様々な部門が教育責任を担い、教育予算を獲得している。ある教育サービス事業者は「今や狙い目は人事部門以外の教育予算」と言う。

こういった本社部門以外にも事業所、支店、製造現場・・・様々なところに教育責任が存在する。
現場での上司や先輩も重要な教育責任を担っている。

そして、こういった社内の人たちだけでなく、社外の教育サービス事業者やコンサルタントもアウトソースによって教育の実務を担うことになる。(僕の勤務先もここにあたる。)

そして最近はCLO(Chief Learning Officer人材開発(投資)に関する最高責任者)とかCHO(Chief Human resource Officer 最高人事責任者)、CKO(Chief Knowledge Officer知識統括責任者)といった言葉も聞く。

う~ん、どうやって整理しよう・・・・・。

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2005/04/17

「教育社会の設計」

非常に面白かった教育関係の本を一冊。(やっとまともな教育ネタを書ける・・・・ほっ)

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 【書名】教育社会の設計
 【著者】矢野 真和
 【出版社】東京大学出版会
 【発行日】2001/03/15
 【ISBN  】413002079X (4-13-002079-X)
 【価 格】2000円(税別)
 【その他】単行本: 228 p  サイズ(cm): 19 x 13
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kyouikushakai教育を社会・経済との関わりから論じた本。

「なぜ教育をするのか?教育を受けるのか?」という問いに対して、経済合理性や社会的な必要性からアプローチしている。

教育そのものだけでなく、つい情緒的になりがちな教育に関する議論も社会工学の研究者らしくデータや調査結果を用いながら冷静に分析し・論じている。

家庭・学校・企業における教育や学習に関する議論、例えば「教育費用は投資かコストか」「ゆとり教育とは」といった議論をする前に読んでおくと良い一冊であろう。

また、第3部(6~8章)はキャリア・デベロップメントに関する示唆を与えている。

とても読みやすく、前提知識は特に要さない。

<目次>

I
 1章 学歴社会の経済構造
 2章 理念なき「大学の大衆化」

II
 3章 「教育と経済」の不幸な関係
 4章 「知識」と「対話」:教育市場との関係
 5章 「移動」と「知識」:グローバリゼーションの衝撃

III
 6章 学校・会社・職業:学歴社会の未来像
 7章 学校・家族・生活:ゆとりの生活設計
 8章 人生設計と学習社会像

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